SN1006あれこれ

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京都新聞の記事

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研究室内コロキウム資料 (ppt file)

天文月報用イメージの候補たち

研究室内コロキウム資料 その2(ppt file)

Suzaku Conference ポスター (ppt file)

いろいろなスムージングをかけたイメージ。
左の2つが3.0-5.5keV、右の2つがO7 band。



NE rim
(1)3.0-5.5keV, (2)O7, (3)O8, (4)NT(color)+O7(contour)
注) O8のイメージで明るいところは、「O8が強い」と言うよりは、 「輝線とnon-thermalの両方が強い」と言った方がふさわしいようです。 (スペクトルを見る限り特にO8が強いという傾向は見られなかった。) O8はEWが小さいので連続成分の寄与が大きく出ている。

rimの北の方は真にnon-thermalが強く、輝線が弱い。この部分はChandraで受かっているfilamentにちょうど一致する。
加速&加熱がまさにされているところなので、まだほとんどthermalizeされておらず輝線が弱い?



SW rim
(1)3.0-5.5keV, (2)O7, (3)O8, (4)NT(color)+O7(contour)



SN1006あれこれ
「明月記」
藤原定家の日記。2000年に国宝に指定された。 現在、主な部分は冷泉家(定家の孫、冷泉為相が祖)に残るが、 東京国立博物館など、方々に分散している。
この中に、「客星古現例」という項があり、以下のようにSN1006の記述がある。
「一條院 寛弘三年 四月二日 葵酉 夜以降 騎官中有大客星」
寛弘三年 四月二日 は 新暦に直すと 1006年5月1日(水)ちなみに大安。
「葵酉(みずのと とり)」は寛弘三年四月二日の干支。
「騎官」は中国の星座の一つで、おおかみ〜ケンタウルスにあたる。 意味は「皇帝の侍衛」
Crabなど他の超新星(もしくは彗星)は全て「客星」と書かれているのに対し、 SN1006のみ「大客星」と表現されている。 史上もっとも明るかったらしく、-7.5等級程度あったと考えられている。

「明月記・客星古現例」に記録されている年号
皇極天皇元年=642年(大化の改新以前なので元号はない)
陽成院 貞観十九年=877年
宇多天皇 寛平三年=891年
醍醐天皇 延長八年=930年 ここまでは具体的な位置の記述がない。彗星かも。
一條院 寛弘三年=1006年 SN1006
後冷泉院 天喜二年=1054年 Crab Nebula
二條院 永萬二年=1166年
高倉院 治承五年=1181年 3C58

藤原定家
言わずと知れた「新古今和歌集」、「新勅撰和歌集」、「小倉百人一首」の撰者。 藤原道長の玄孫。
生没年は1162-1241年。つまりSN1006やCrabは定家自身が見たものではない。
リアルタイムでは、当時陰陽頭(おんみょうのかみ)だった安倍吉昌が 一条天皇に奏上した。吉昌は有名な安倍晴明の次男。 残念なことに晴明は1005年に没している。

寛弘年間
1004-1011。藤原道長が権勢を振るった平安時代の最盛期。
紫式部が源氏物語を執筆していたのもまさにこの時期である。
一条天皇の中宮は藤原道隆の娘・定子。後には定子を皇后とし、 道長の娘・彰子を中宮とする(一帝二后)。